創刊に当たり

「このひとこのみち」とは、活躍する西湘高校卒業生を紹介するコンテンツとして同窓会独自の視点と取材で構成し、現役生や学生にとっては将来の夢を、先輩にとっては後輩の躍進を、同年代には刺激を感じてもらえる様なヒューマンストーリーを目指しています。
創刊号は同窓会誌第8号との連動企画として、同窓会紙面ではご紹介しきれない部分も含めてより詳しい20回生 石井ゆかりさんの波瀾万丈ともいえるサクセスストーリーです。石井さんは現在米国テネシー州に居住し、11の会社を経営するビジネスウーマンであり、ひとりの女性です。
同級生はもちろん、高校生時代にはこんな彼女の現在(いま)を想像できたでしょうか。

Vol.1 石井ゆかりさん 20回生 / 日本で30年、米国で30年、次の30年は

ハイド石井ゆかりさん
ハイド石井ゆかりさん

大学を卒業後、商社勤務を経て国際結婚により渡米、その後波瀾万丈の人生を突き進み、日米の橋渡し役として活躍するハイド石井ゆかりさん(20回生)。
人生に偶然は無く、全ては必然だと言います。それを象徴するかのような生き方は、チャレンジの連続でした。60歳、還暦を迎えるいま、彼女は何を見つめているのでしょうか。

“20回生のハイド石井ゆかりと申します。私の記事がニューヨークの新聞に載ったことがきっかけで、同窓会誌に寄稿させて頂いたり、このコーナーに載せて頂くことになり、とても光栄に思っております。
卒業以来一度も母校を訪れたことが無く不義理をしている卒業生ですが、いきなり西湘の風に吹かれた気分で、高校生活を懐かしく想い出しております。”


高校~大学~バブルへ

高校時代の石井さん
右上中央、右下前列中央右が石井さん

思い起こせば、高校時代は卓球部の先輩に憧れて後ろで球拾いをするだけで、口から心臓が飛び出るほどドキドキしていた純な青春時代でした。
成績は中間レベル、普通の生徒でしたが受験勉強を一切せずに大学に推薦で入学出来たのは非常に幸運でした。担任の先生のご尽力に感謝しています。

大学を卒業したのは日本中が浮かれていたバブル全盛期。日商岩井という商社で為替ディーラーとして勤務し、華やかな赤坂で毎日銀行の接待を受けてタクシー券で帰るという、贅沢三昧の社会人生活を享受しました。


人種差別と事業の失敗

国際結婚

『世界を見せてあげる』という甘いプロポーズにコロッといって、金髪青い目の彼と夢のような国際結婚をし、派手に華燭の典を挙げました。
人生はバラ色と信じてノコノコとやって来たアメリカは、ディープサウスのアラバマ州。人種差別の酷い地域で、スーパーに買い物に行けば取り囲まれて石を投げられる毎日。 自宅や会社も泥棒に何もかも盗られて、町ぐるみの出ていけ攻撃を受け警察に届け出ても埒が明かず、裁判に訴えても敗訴。いきなりアメリカの洗礼を受けました。

主人のビジネスも次々と失敗し、負のスパイラル。想像を絶する借金地獄へ。お恥ずかしい話ですが、あまりにもお金が無くて、なんとマクドナルドからトイレットペーパーを自宅へ拝借したことさえありました。
酷い人種差別で命の危険も感じてテネシー州へ移住。とても苦しい時代でしたが、自分の意志で海外に来たのでおめおめと日本に帰る訳にはいかず、主人と二人きりでガレージの2階で人材紹介会社を始め、 月曜日から金曜日は会社の仕事、土曜日は日本語補習校で勤務し、負けるものかとの一念で歯を食いしばり必死に働きました。


成長と成功、そして別れ

前駐日ハガティ大使と記念撮影
前駐日ハガティ大使と
テネシー州知事と記念撮影
テネシー州知事と
補習校卒業式で司会
補習校卒業式で

それから四半世紀以上が経ち事業は大きく成長。今では経営する会社は11社、最盛期には400名近い従業員を抱え、プール・サウナ・ジャグジー付きの大豪邸に住んで、メイドさんを使う生活が出来るようにもなりました。
私は日米協会の理事も務め、皇后様のお父様の小和田様とテネシー州知事のお宅で、ハガティー前駐日大使と総領事公邸で、それぞれお話しさせて頂いたり、日米関係の橋渡しに微力ながらお手伝いをさせて頂ける立場にもなりました。

主人がテネシー大学から弘前大学への第一期留学生だったこともあり、10年前にはハイドグローバル基金を設立して、テネシー大学の学生さん100人以上の日本留学もサポートしています。



プロポーズの約束通り家族で100か国近く旅行もでき、3人の子供達も会社を手伝ってくれ、なにもかも順風満帆でしたが、色々あるのが人生。30年間二人三脚で頑張ってきた主人が、壮絶な闘病生活の末、2年前に他界しました。
カリスマ経営者だった主人が病に倒れてからは、沢山の従業員が辞め、主人が亡くなったあとに信頼して任せていたマネージャーの横領事件も発覚し、精神的に非常に苦しいここ数年でした。

今まで凄い勢いで走り続けて来ましたが、生きることの意味を考え直すことが出来ました。
人は1人では生きられないし、沢山の人の愛情で支えられていること。大変な時には助けを求めていいこと。色々教えて頂きました。今では成長した3人の子供達も事業を手伝ってくれて、お陰様で会社経営も軌道に戻すことが出来ました。

長いことアメリカに住み、海外を旅行し様々な国で友人を作り、グローバルな体験をしていますが、そんな私が誇りに思っていることは、自分が日本人であると言うことです。
英語は相変わらず下手ですが、私には母国語の日本語があります。自分の強みを考えて始めた人材紹介業では、在米の日本企業に日本語が話せるバイリンガルの人材を紹介し、日本とアメリカの橋渡しをしています。
教頭として勤務していた補習校では、日本語教育を通して海外で頑張る子供達やそのご家族の手助けをしてきました。異国の地アメリカで、日本語を活かしながら仕事が出来て、人様のお役に立てていることに心から感謝しています。


必然の人生を生きる

思えば湯河原と鴨宮まで海を見ながらボーっと通学し、長閑な学生時代を過ごしていた頃には、今こうして遠く海外で暮らしている自分の姿は、想像すら出来ませんでした。
でも昔からとても肯定的な性格だったので、何か困難なことが起こってもそれは神様からのテストだと思って頑張ってチャレンジして来ました。
そしてなによりずっと信じていたのは、私は絶対に幸せに生きるってことです。人生に偶然は無く、全ては必然だと思います。

私は今年還暦を迎えますが、その節目の年にこの寄稿を書かせて頂き、自分の人生を振り返ることが出来たのも、大きな意味があると思います。
今や人の一生は100歳時代になったと言われています。私は最初の30年間は日本で暮らし、次の30年間はアメリカで暮らしました。これからの30年は日本とアメリカを行ったり来たりして、人様に貢献できる何か新たなことをやり始めたいと思っています。
まだまだこれからです。この人生は一度きり。先に逝ってしまった主人の分まで人生を楽しんで生きます。きっと想像も出来ないワクワクする素敵な未来が待っています。

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